■決定事項
特になし
■アクションアイテム
● HPの改修を進める(リアルタイムで修正可能な叩き台として活用)
● 一宮庵の理念やルーツを整理し、カリキュラムや情報発信の基盤とする
■議論のポイント
一宮の名前の由来と成り立ち
● 平成元年に「斎藤料理教室」から「一宮庵」に屋号を変更
● 名前の由来は、先代夫妻が一宮巡りや四国八十八ヶ所巡礼を行う中で、地元の人々が神社を
「いっくさん」と親しみを込めて呼んでいたことに感銘を受けたため
● 「一宮」を「いっく」と読むのは土佐地方の方言的な呼び方
● 元々は茶懐石料理教室として昭和時代に創業(当時 26 歳の女将が日本初とも言える茶懐石料理教室を開始)
一宮の理念と背景
● 神社信仰の復興と日本文化の継承を目指す
● 戦後失われつつある日本人の信仰心や伝統文化を取り戻したいという想い
● 店内に神棚があり、先代は神職の資格を取得して毎朝神事を行っていた
● 現在は神棚の継承は行なうが、神職の資格は取得せず、その環境を維持しながら料理を提供する場として運営
家族の歴史と茶道との関係
● 祖父・斎藤寅次郎は映画監督で、祖母は元女優
● 祖母が茶道の先生として活動し、成城地域の裏千家の幹事長も務めた
● 次男の妻が茶道を継承、三男の妻(現女将の義母)は料理の道へ
● 現女将は義母から茶懐石料理を学び、21 歳から修行を開始
● 隣家には移築された由緒ある茶室が現存(現在は使用されていない)
経営の変遷
● 当初は料理教室として運営され、生徒からの月謝で成り立っていた
● 平成元年に茶寮(飲食店)へ転換したが、当初は経営が厳しかった
● 先代の時代は、お布施や神事の御礼などで収支を補っていた
● 現在は飲食事業の営業収入で運営できるようになった
メニュー展開と顧客層の考え方
● 現在は 1,800 円のランチと、コース料理(玄米膳含む)を提供
● 一休と食べログでは 1,800 円の予約を制限し、コース料理を推奨
● お椀が入るコース料理こそが一宮庵の本質という考え
● ランチは入口として機能しており、そこからコース料理へ誘導する戦略
● 若年層を無理にターゲットにせず、大人が楽しむ姿を見せることで自然に関心を持ってもらう方針もありか…→反対意見もあり(要論議)
情報発信とコミュニティ形成
● SNS 発信は、遠くの人より「真隣の人」を一人ずつ共感させていく方針もありか(要論議)
● 内々で楽しみながら、共感できる人の輪を広げていく(要論議)
● 銀座で寺子屋的な学びの場を運営している秋吉さんの事例共有
● 八紘一宇の精神(天・地・人が共に豊かに過ごす)に通じる活動
カリキュラムと教室事業
● 料理教室と飲食店の二頭立てで展開する方向性
● 「一宮庵学校」のようなカリキュラム構想の議論
● 1,800 円ランチは入口として、本質的な学びはコース料理や教室で提供
● 硬すぎず緩すぎない、世代継承のバランスが課題
今後の方向性
● 一宮庵のルーツや理念を明確に整理し、発信していく必要性
● 変化するものと変わらないものを見極め、長い時間軸で文化を継承
● 理想(理念)と運営(経済)の両輪を回していく
● 現在のHPは叩き台として、リアルタイムで改善、情報を更新していく
■神社文化と日本伝統の復興
● 戦後 70〜80 年の間に失われてきた日本人の信仰心を取り戻したいという思いが語られた。
伊勢神宮参拝や 20 年ごとの遷宮など、長く続いてきた日本の文化の重要性が強調された
● 千年レベルの視点で日本を見ると、お金を使い始めたのは 150 年程前で、それまではお米が貨幣だったという歴史的背景が共有された
● 変化するものには当たりとハズレがあり、長い流れに乗らないとそれを判断できないという考えが示された
● 八紘一宇の精神に基づき、天と地と人が一緒に仲良く豊かに過ごすことを目指した活動が紹介された
● 世代継承が課題となっており、硬すぎると若者が参加せず、緩めたくもないというバランスの難しさが指摘された
■一宮巡りと学びの場の実践
● 秋吉さんより情報提供。
● 旅行を兼ねて日本の由緒ある場所を実際に目で見て触れて体験する活動が行われている。この体験型のアプローチが若い世代への継承に有効だと考えられている
● 銀座の歌舞伎座の目の前で学びの場を開催しており、その場所はかつて吉田松陰や佐久間象山が学んでいた場所にビルが建っている
● 当時の寺子屋のような形で活動を続けることで、歴史的な学びの継承を目指している
● SNS で遠くの人を集めるのではなく、内々で楽しみながら真隣の人たちを共感させて輪を広げていく方針が提案された
● 周りの人に見せびらかす感覚で、共感できる人たちだけでまず豊かに楽しく過ごし、その中で日本の良さを理解深めていく戦略が語られた
■一宮庵カリキュラムの構想と課題
● 一宮庵学校のカリキュラムとして、ランチから入るという構想が議論されたが、まだ明確な形にはなっていない状況が確認された
● これまで頭の中にあった概念を、みんなで実行するためには書き出してわかりやすくする必要性が指摘された
● 虎二郎さんは非常にぶっ飛んだ人物で、高級なリーバイスのジーンズにわざわざ穴を開けてつぎあてをして着るなど、独特なエピソードが多数存在する
● 面白い話の中にヒントがたくさんあるため、そうしたエピソードを活用していくことが提案された
■一宮庵のメニュー構成と理念の整合性
● ランチは 1,800 円で提供されているが、これが一宮庵の本来の理念を示すものかという疑問が提起された
● 一宮庵のカリキュラムとして重要なのはコース料理であり、特にお椀が入ることが最も大事だと強調された
● 現在は一休と食べログの 1,800 円予約を制限し、基本的にはコースを食べてもらう方向に舵を切っている
● お椀とお菓子まであるコースを召し上がっていただくことが、一宮庵の本来の価値を伝える最善の方法だと認識されている
■ターゲット設定と集客戦略の見直し
● 若年層や感性の芽生え層に無理にアピールする必要はなく、大人が楽しくやっていれば若い人も自然と興味を持つという意見が出された(要論議)
● 楽しそうなことをやっている様子を見せることで、若い人が「ちょっと覗きたくなる」という効果が期待できる(要論議)
● ゲートを下げるような教室やイベントを開催することで、徐々に参加者を増やしていく戦略が提案された
● あえて若年層向けの設計をしなくても、一宮庵には人を呼べる要素がたくさんあるという認識が共有された
● 一方で、1,800 円のランチがなければ来なかった顧客もいるため、入り口としての役割は重要だという反対意見も出た
■一宮庵の名前の由来と歴史的背景
● 一宮庵という名前のルーツや理念について、これまで十分に説明されてこなかったことが判明した
● 一宮庵が現在存在している理由や、どのように始まったのかという根本的な情報を整理する必要性が認識された
● 元々は茶懐石料理教室として始まり、先代の母親が 26 歳の時に日本で初めてかもしれない茶懐石料理教室を開設した
● 祖父の妻がお茶の先生をしており、二代目を誰に継がせるかという家族内の政治があり、現在の主人の母親は、涙を流しながら、料理の道に進むことになった経緯がある
● 平成元年に料理教室から「一宮庵」という茶寮に屋号を変更し、食べ物屋さんとしての営業を本格化させた歴史が説明された
■一宮巡りと一宮庵命名の経緯
● 両親が一宮巡りをしたり、ご主人の父親が 55 歳の時に四国八十八か所を回ったりする中で、神社と寺の関係性に気づいた
● 四国を巡っている際、地元の人が神社を「いっくさん」という愛称で呼んでいることを知り、その響きが良いと感じた
● 神社が錆びている状態や、人に聞きながらでないとたどり着けない場所もあったという体験が名前の由来に影響を与えた
● 一宮を「いっく」と読むのは普通ではなく、土佐地方の呼び方らしいことが判明した
■一宮庵の継承と経営理念の確立
● 現在のご主人が結婚する際、家業を継ぐつもりは全くなかったが、文恵さんには最初から一緒にここをやってほしいと伝えた
● ご主人としては、神棚を継承するが、父親のように神職の資格を取るつもりもない(資格を持たないので、七五三やお宮参りをすることはしないという意味)が、父親が毎朝行っていた環境をそのまま存続させたいという思いがあった
● 先代の時代は経営的にはうまくいっておらず、料理教室の収入やお布施に頼っていた状況だった
● 文恵さんが入ってからは、飲食としての事業利益が向上し、お布施だけに頼らない経営ができるようになった。感謝している
● 理想と運営の両輪を回すことができるようになり、応援してくれる人がいればもっと良くなるという段階に達している
■料理教室から茶寮への転換期
● 平成元年に神棚を作ってから、生徒がごっそり辞めてほぼいなくなったという大きな転換点があった
● 両親は生徒やお客さんの反応を考えず、やりたいことを始めたという姿勢だった
● 毎月延べ人数で200人程度と多くの生徒がいたが、神棚を作ったことで「先生が変わった」
と感じてほとんどの生徒がやめていった
● その結果、料理教室から茶寮へと方向転換することになった
● 当時は 3,500 円の味覚膳(現在の 4 千数百円のコース)しかなく、毎日お客さんがいない状態が続いていた
■隣家との関係と茶室の歴史
● 隣の家には立派な茶室があり、成城地域で裏千家の幹事長を務めていた祖母の時代から使われていた
● 茶室は元々母屋に付属していたが、土地を半分売却して家を建て替える際に、レールを敷いて移動させて保存された
● 祖母がお茶の二代目を誰に継がせるかを決める際、幼少時代から料理修行を重ねていた母親ではなく次女に決めたという家族の政治があった
● 母親はその決定に泣いていたという物々しいシーンが目撃されており、そこから茶懐石料理教室を始めるきっかけとなった
● 現在は茶室が使われていなく物置になっており、隣家とも疎遠になってしまっている状況が語られた
■斎藤寅次郎と芸能界との距離
● 祖母は元女優だったが、結婚後は芸能界から完全に距離を置き、テレビや芸能界の出入りを嫌っていた
● 興行のヤクザのような世界を嫌った祖母が、関係者に来ないでほしいと伝えていたという背景がある
● 隣のおばさんもそれを忠実に守り、宣伝にも使わなかったため、一宮庵は長い間表に出ることができなかった
● 母親の時代にはテレビの話もよくあったが、隣家に牽制されて何もできなかった状況が続いていた
● 先生が亡くなってから看板を出せるようになり、ようやく積極的な活動ができるようになった経緯が明かされた
■今後の展開とHPの改善
● 今回の議論で得られた深い情報を基に、叩き台を作り直す必要があることが確認された
● HPはリアルタイムの叩き台として、どんどん直していきたいという意向が示された
● 一宮庵の歴史やストーリーを整理してわかりやすく伝えることが、今後の重要な課題として認識された
● 教室活動と茶寮の両立、そして一宮庵の理念を体現するコース料理の提供が今後の軸となることが確認された
● 非常に勉強になる議論だったという感想が共有され、継続的な相談と改善の必要性が認識された
以上
